見えないのと見ないのは別

 ここの所別のクラスのfが大学に合格したとのことで、お花畑にたわむれる少女のごとく学生生活を送っているわけなんだが、どうにも俺に絡んでくる。 テンションが舞い上がり喜んでいるのはいいが「こいつに合気道を教えてやってくれ」というので見ず知らず(厳密には知っている人物になるんだが)の奴を連れてきたり、調子のいいのがなんちゃってパンチをやってみたりと・・・とても平和であった。
 それにしても、合格や就職が決まった連中のパターンはわいわいと喜ぶタイプか、落ち着いているかはたまた沈んでいるのパターンに分かれているようだ。 前者はfになるわけだが、後者は知人のOである。 俺としては彼は彼なりに大成しそうだからかまわないんだが、やはり「決まった」というのは現実を感じてプレッシャーにでもなってるんだろうか。いや、単純にFの精神年齢がお子様だからだろう。 どんなに大学に行っても最終的には仕事に就かなければならない。その期限を延ばすために大学を行くのも俺は否定しないが、そのことに気づいていないんであろう。 
 ちょっと話はそれるが、海外派遣でお世話になり、俺もホームステイを受け入れたEが「MIT(マサチューセッツ工科大学)に受かったし、ひょっとしたら2年後北海道に海外研修で行くんだぜ」という手紙をもらうのだった。私としてはうれしいんだが、なんというか「着ぐるみマニアでちょびっとが好きでそっち方面に走り、奨学金も貰った上で日本語ができるから海外研修・・・なんというか少し釈然としないものもあるが、なによりあいつは『コミケ行って雷光さんとコスプレを』とかいいかねないよなあ・・・」と少し冷や汗を感じるのであった。
 今日はこの辺で